11/14の記録

元々日本語で文章書くのは好きだったし今の気持ちとかを文字に残してあとでこんなこともあったなって笑えますようにっていう思いでブログアプリをいれた。Twitterの140字ではまとめきれないからこっちに書いただけで内容はしょうもないけど、読んでくれてたら喜ぶと思う。

 

あ、でも私のことすごい誤解してた人の目に止まって誤解とけてたらラッキーだなって思う。んなことあるわけないけど。

 

友達に誘われ被写体活動を初めて3ヶ月、そして被写体の先輩に誘われてキャンパスコレクションに参加しようと決意して1ヶ月、私は自分達の作品を見てくれる人が中々増えないことに焦り、また閲覧者を増やすために手段を選んでられないと参加したキャンコレに関しても、被写体活動と同じく「周りに何を思われるか、何言われているのかわからないし、もしかしたら私が傷つくようなこと思われてる(言われてる)かもしれない」とか「私にこういうことする価値、権利はあるのか」とか「誰も応援してくれなかったら流石に悲しいよね」とか不安と恐怖に苛まれていた。普通に週に何回も一人でこんなこと考えては泣きそうになったり、挙げ句の果てには号泣してた。こんな状態だから、狭い大学内で思ってたよりは目立ってしまっていたことにも常にすごく怯えていた。

 

そして自分の場合この活動以外にも考えないといけないことがあった。大学の勉強のこと、中国語の資格、留学や就活関係のこと、周りとの関係など、、私のキャパが小さいのもあるけど、少し離れた土地で一人暮らししてる人間ではあるのできついかなと思う。最近一人でいるのが辛く孤独感が半端ではないのも、悩みがびっくりするほど増えてしまったのに誰に頼ったらいいのか分からず、Twitterで発散しつつ一人で戦わなければいけないからである。まあ誰もきっと助けられないんだし当然ではあるけども。

 

そもそも意外と人って他人に興味ないし自分が思ってるほど陰口とか批判が飛んできてないのかもしれない。私が色々あったせいで、また人ってみんな悪い冷たい部分持ってるからっていう思想のせいで、こんなに被害妄想強めなのかもしれない。しかもこういう人目につくことしてると誰でも何かしら言われるものでもある。

それでも色々ときついことに変わりないし私は辛い怖いって気持ちを否定するのをやめた。

 

話はそれるが、自己顕示欲とか承認欲求満たしたいがために人前に出る活動をしていると考えている人間がいるなら、はっきりと否定したい。こんなしんどい思いをしてまでやっているのは、やはり撮ってくれる人と素敵な作品を残せるのが嬉しいからだ。そしてその宝物のような作品を色んな人に見て、いいなと思ってもらいたいからだ。仮に承認欲求だとかそんなもののためにやるなら、私は匿名のSNSのアカウント作って加工した自撮りをあげる方がよっぽどいいと思うし、承認欲求満たしたくなったらそうしている(実際はしてないけど)。だから、そう思われていたとしたらとても悲しいし腹立つし、でもこの狭すぎる環境でさえもそう思ってる人もどうせいるんだろうなとも思う。大人になってから諦める事を覚えたんだなとしみじみと実感した。

 

特に他に書きたいこともないのでこれで終わり。いるか知らんけどこんな駄文を読んでくれた人ありがとう。数ヶ月後にこの内容見て自分めっちゃ病んでて草とか言うてたらいいなと思っています。